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人生の意義を問う

これは、永遠の問い。ただひとつはっきりしていることは、私たちは必要だから、この世に生まれてきたということ。

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1999年、航空自衛隊を退官したとき、私は21歳でした。

当時は大手金融機関の相次ぐ破綻などで景気が急速に悪化しており、
安定した公務員の職を手放してはいけないと、両親や親戚から猛反対されました。
私も不安でしたが、自衛隊に定年まで勤めるのか、いま辞めるのかの
一生の選択に迷いはありませんでした。
中途半端な年齢で辞めても、民間企業では通用しないことを感覚で知っていましたから。
最終的には、祖母と両親が、人様に迷惑かけないという条件で、私を後押ししてくれました。

何かを選択するということは、何かを捨てるということ。
私は、安定を捨てて、挑戦を選びました。
それは、日本社会のレールから脱出した瞬間でした。

時間制限なしで、200万円ほどの資金もあるし、一番好きな事をやろうと決めていました。
そうだ、海外を旅しよう。しかも、レジャーではなくて、ストイックな修行の旅。
野宿も想定に入れて、テントや寝袋やガスコンロ、浄水器を用意しました。
行先は世界中どこでも選び放題だったけれど、先ずは、大阪から船で上海に向かいました。
やればできるという根拠のない自信と、未知に対してのわくわく感で、胸がいっぱいでした。

(Part3につづく)

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これまでの人生の棚卸から始めます。

私は、幼いころ、空想することが趣味でした。
漫画や映画のヒーローと自分自身を重ね合わせては、
自分がヒーローであるかのように振る舞い、心酔いしれていました。

現実の世界においても、そのイメージを引きずっていて、
自分はヒーローなんだから、何でも出来るはずだと根拠のない自信を持っていました。

さらに、自分は特別な人間なんだという意識がありました。
だから、学級委員長や生徒会などのリーダー的役割を、自ら進んで務めてきました。
中学校の卒業アルバムに将来の夢の掲載欄があり、そこに私は『総理大臣』と書きました。
これは、14歳の立志式の際に決めた夢でした。

では、実際の私はどうだったかと言えば、筆記試験の成績は良いほうでしたが、
スポーツが苦手で、必死にバレーボール部で鍛えていました。
いわゆる、平凡な子供だったと思います。

高校については、心の修行をするために、神道系の学校を選びました。
知力、体力よりも、心や精神が大切だと信じて疑いませんでした。
これは、初めて、自分で自分の人生を選んだ瞬間でした。

ただし、そのあとの高校生活は、悔いが残るものでした。
精神力、知力、体力をすべて鍛えようとしたのですが、
やはり、優先順位は精神力の強化にあり、特に、知力については、
入学当初の水準から、随分、下がってしまいました。
疲れ切って、授業中に居眠りしているのだから当然の報いだと思います。

それでも、中学生で志した総理大臣の夢は無意識のうちに認識しており、
当時は司馬遼太郎の歴史小説に胸を熱くしていました。本当に愛国心旺盛な高校生でした。
愛国心はあるが、学力が伴わないことと、『坂の上の雲』に出て来た福沢諭吉の言葉、
『一身独立して一国独立する』に感化されて、航空自衛隊への進路を決めました。

ここで、少し横道にそれますが、
過去を振り返る際には、現在の心情で都合よく解釈するのではなく、
事実ベースで、あるがままの過去を直視することが大切です。
そして、言語化できることをすべて言語化する努力をすることです。
そうすることにより、言語化できない部分が徐々に深層意識の領域で明確化されていき、
それが、あるとき、直感のひらめきとして意識の表層に浮かび上がってきます。

航空自衛隊に入隊した後、少なくとも半年間は、愛国心旺盛な青年でした。
朝夕の国旗掲揚・後納にて、青空に翻る日の丸を仰ぎ見て、「命懸けで日本を守ります。」
と心に誓ってました。また、課外時間であっても、徹底的に勉学と体力の強化に励みました。
「佐藤、ようやるな。そない頑張ってどうするん。」って、好意的に声をかけてくれました。
15年経ったいま、思い返しても、これほどの濃い時間は私の人生の中では存在せず、
教育隊7中隊12班の仲間ほど深い友情で結ばれた仲間はいません。

教育隊を卒業した後、私は千歳管制隊に配属されました。
先の教育隊を学校と捉えるならば、それは、初めて社会に触れた瞬間でした。
「堕落している。」それが、最初の感想でした。そして、この思いは退官するまで続きます。
それでも、執拗に自分を貫き通して生きていました。私の情熱が少しでも伝わってくれることを祈って。
しかし、私は3年後、退官することを選びます。
ここではない、どこかで、情熱をストレートにぶつけて生きたいと思ったからです。
民間社会を知らなかったことも理由のひとつでした。
そして、これは、私自身、何かを辞めた、初めての経験でした。

(Part2につづく)


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ソフトバンクWebサイトに掲載された文章を転載させて頂きます。

志高く


皆さん、ソフトバンクの孫です。
本日はお忙しいところ、たくさんお集まりいただき、本当にありがとうございました。


今年はNHKの「龍馬伝」の放映もあって、坂本龍馬ブームと言っていい状況です。実は私たちソフトバンクのロゴマークは、龍馬が作った海援隊の二本線の旗から生まれました。私たちも、自由な発想力と大胆な実行力で日本を近代国家に導いた龍馬のような「志」を持ちたい、という思いから決まったのですが、日本はまさに当時の幕末のような状態にあり、政治や経済などさまざまな問題により、国全体が活力を失っています。日本をもう一度よみがえらせるためには、龍馬のような高い「志」を持った若者たちが結集し、「この世の中をもう一度活性化させる」という思いを持つことが大切です。



私たちソフトバンクは、少なくともそういう思いを持って事業を進めておりますが、日本にはソフトバンクだけではなく、素晴らしい人物や会社、組織があると思います。そういう人たちが奮起して、また皆さんのような若い人たちが一念発起して、「日本にもう一度夜明けを迎えさせる」という気概で、がんばってほしいと思います。


「志」を立て、渡米


私は16歳のときに、日本の高校を辞めアメリカに渡りました。休学をすすめる周囲の説得を断り、病に倒れて入院中の父を置き、泣きながらしがみつく母を振り切り、自ら退路を断ってアメリカへ行きました。退路を断たないと困難に立ち向かえないと信じたからです。アメリカでは、死ぬほど勉強しました。途中肺炎になっても、病気になったことすら気がつかないほど猛烈に勉強し、寝ている時間以外は、すべて勉強していました。



大学生だった19歳のときに、出会いは突然訪れました。科学雑誌で生まれたばかりのマイクロコンピュータのチップを見て、衝撃を受けたのです。


「人類は初めて、自らの脳の働きを超えるかもしれないものを作りだした!」
20世紀末や21世紀の人類社会は、このマイクロコンピュータの出現でいったいどう発展していくのか。このことを想像しているだけで、恐ろしいほどの衝撃と、
感銘を受けたわけです。
自分が登りたい山は何か?

猛烈に勉強した結果、いくつものアメリカの名門大学院から、たくさんのお誘いを受けました。
しかし母と交わした、「大学を卒業したら日本に帰る」という約束を守り、すべての誘いを断り、日本に帰ってきました。


そして日本に戻ってからの1年半、これから何をなすべきか、真剣に悩みました。

「自分のエネルギーを何に使いたいか」
「自分が登りたい山は何か」
「自分の志とは」
「自分の成したいこととは」

そしてこう思いました。「登りたい山を決める。これで人生の半分が決まる」と。



人がまだやっていないこと、人の役に立てること。自分が継続して好奇心を持ち、常に何かの技術革新があり、冷めない情熱を一生持ち続けられるもの……40ほど事業を考えた末、「デジタル情報革命を通じて、多くの世の中の人々、世界中の人々が、知恵と知識を共有できるような、大きなネットワーク、プラットフォーム、サービスを提供する。そういう事業を通じて、人々がより幸福になり、仕事の生産性があがる。楽しくなる。病気の人が助けられる。そういうような仕事であれば人生を賭けるのにふさわしい、それが自分の『志』だ。」と決意しました。
こうして、日本ソフトバンク(現ソフトバンク)という会社を興したのです。



命を賭けた大勝負


30代の最後のとき、いわゆるインターネットバブルで株価がすごい勢いで上がっていきました。でも、「お金はどうでもいい。もっと人に喜んでもらえることをしよう」、そう思い、当時先進国で世界一価格が高くて、スピードが遅いと言われていた日本のインターネットをなんとかしようと、ブロードバンド・インフラ事業に乗り出す決意をしました。



ところが直後にインターネットバブルが崩壊。わずか1年間で、ソフトバンクの株式価値は約100分の1にまで落ちました。世間では、ネット事業をしていることが、詐欺師のように扱われるようになってしまったのです。
どん底でした。お金もなくなってしまいました。しかしそんな時だからこそ、「自分は何のために生まれてきたのか。なんのために『志』を立てたのか。デジタル情報革命に人生を捧げたのだから、ここでひるむわけにはいかない!」、そう思いました。



「ここでもうひと勝負する!名もいらない。金もいらない。地位も名誉もいらない。ソフトバンクがなくなっても、日本国民が最終的に全部インターネットユーザーになって、いつの日か、日本国民が喜んでくれればそれでいいじゃないか」


結果、日本のブロードバンドは世界一安く、世界一高速になりました。
そのくらいの覚悟がなければ、事は成せないのです。

ブロードバンド・インフラ事業でようやく利益が出るようになり、インターネットバブル崩壊で負った傷が少し癒えたころ、もう一回大きな勝負に出ました。ボーダフォン日本法人の買収です。19歳のときに立てた「人生50カ年計画」の中で、事業家として40代の時に勝負すると決めていました。このとき私は、48歳でした。40代の最初にブロードバンドで勝負しましたが、まだ足りない。やはりモバイルインターネットの世界を実現しなければならない。一時2,000億円まで落ち込んだ時価総額は、2兆円まで持ち直していましたが、そのすべてを賭け、勝負に出ました。



当時、番号ポータビリティ制度が始まる直前で、ボーダフォンは“草刈場”になると言われていました。そのとき4つの弱点があり、「端末」「ネットワーク」「コンテンツ」「ブランド力」の問題を、解決しなければなりませんでした。これらの問題を解決しながら、シンプルな料金プラン「ホワイトプラン」や、CMで好評をいただいている「白戸家」など、いろいろ取り組んでまいりました。そこに「iPhone™」が登場し、ソフトバンクはどんどん伸びていくことができました。大きな買収劇となりましたが、今では順調に利益を出せるようになりました。

今後は純有利子負債を完済し、私の50代で、ビジネスモデルを完成させます。



ソフトバンクグループが目指すもの

今、ソフトバンクグループが目指している方向性は2つあります。それは「モバイルインターネットNo.1」と「アジアインターネットNo.1」の会社になるということです。



産業革命により、人類の社会は農耕社会から工業社会になりました。第一次産業革命はイギリスを中心とした、軽工業でした。第二次産業革命は、アメリカを中心とした重工業。今はその第二次産業革命の末期です。日本が最近輝きを失っているのは、この末期にあたる時期に、日本の存在意義がゆらいでいるためなのです。なぜなら第二次産業革命は、より賃金が安く、材料が安い中国やインドにシフトしているからです。そして今後の50年を考えたとき、国内市場のボリュームが大きい中国やインドを相手に、日本が再び工業生産国として競争力を取り戻すことは、一部を除き、ありえないと断言できます。では日本が唯一復活できる可能性があるものは何か? それは筋肉や人口の数ではなく、「頭で勝負すること」です。ITの第一次革命はアメリカでしたが、ITの第二次革命は、アジアが中心になります。さらにITの中心がパソコンからモバイルに移るとき、もう一度スタートラインに並びます。今、この2つの面でチャンスが訪れているのです。



今日本では、「iPhone」を使う人が、増えています。もちろん「iPhone」だけではなく、「Android™」などを搭載したスマートフォンも、続々と出てきます。ケータイが音声を中心とした「携帯電話」と言われていた時代から、「モバイルインターネットマシン」と呼ばれる時代になるのです。まさに今、「Twitter」をはじめとしたコミュニケーションの登場により、実際にそういう状態になりつつあります。さらに「Ustream」では、文字だけではなく、リアルタイムの動画で、世界中の人々と情報を共有することができます。人々の脳と脳を合わせたように、知恵と知識が集まって人々がより幸せになれる。ソフトバンクが掲げている理念が実現する社会になりつつあるのです。



インターネットの利用人口では、10年前はアメリカが50%でしたが、これからもうじき、アジアが50%を占める時代がきます。中でも中国の経済成長は目覚しく、まもなくGDPで日本を抜き世界2位になり、その勢いはアメリカを抜くところまで行くでしょう。つまりアジアを制するものが世界のインターネットを制するという時代が、間違いなくやってきます。これに対しソフトバンクグループでは、着実に布石を打っています。中国最大のオンラインショッピングサイト「タオバオ」や、中国最大のオンライン決済サービス「アリペイ」を傘下に持つ「アリババグループ」、中国最大級のソーシャルネットワーク「レンレン」を運営する「オーク・パシフィック・インタラクティブ」。これらはすべて、ソフトバンクグループです。さらには、中国No.1の携帯電話事業者である「チャイナモバイル」、ヨーロッパNo.1の「ボーダフォン」、アメリカNo.1の「ベライゾン」との4社で、合弁会社「JIL(Joint Innovation Lab)」を作り、世界10億人規模のモバイルインターネット戦略にも布石を打っています。



学生の皆さんへ

今日ご縁があって、これからソフトバンクの新卒社員として入る人もいます。あるいはそうでない人もいます。そうでない人にとっては、今日の皆さんとの出会いが、一生の中で最初で最後になるかもしれません。でもせっかくの機会で同じ場所にいる皆さんに、ひとつだけ覚えていてほしいことがあります。

それは、「皆さんが登りたい山を、この1年くらいで決めてほしい」ということです。残された年齢が少ないと、実現できる可能性がその分減ってしまいます。早く「志」を持つ者は強いのです。一回しかない人生を、無駄にしないでください。自分の登りたい山を決めないで歩くのは、さまように等しいのです。今日私が説明したすべてを忘れたとしても、たったひとつ、このことだけは覚えていてください。



今日ここにいる皆さん、「Twitter」で共有していただいている皆さん、「Ustream」を見ながら私の思いを共有していただいた皆さん、皆さんがなんらかの形で幸せになってくれればと思います。みんなが少しずつでもそういう気持ちを共有して、残りの多くの人々に幸せを提供できたら、人類がもっと平和になって、多くの人々がもっと幸福になれる。私はそんな世の中にできたらいいなと、心から思っています。



ありがとうございました。

(掲載日:2010年4月16日)

[注]
*iPhone商標は、アイホン株式会社のライセンスに基づき使用されています。
*iPhone 3Gは単独の通信業者のサービスでのみお使いいただけるよう設定されている場合があります。
*Androidはグーグル インコーポレイテッドの商標または登録商標です。


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「メメント・モリ」とは、ラテン語で「死を想え」という意味です。

私たちは、生への執着を抱えながら生きています。
少しでも長く生きようと、勉強し、働き、健康に留意し、老後の貯蓄をします。
そして、寿命が尽きて安らかに大往生を遂げることを、人生のゴールイメージに掲げます。

しかし、ときに、生きることに嫌気が差すことがあります。
仕事をクビになったり、親友から裏切られたり、大病を患ったりと、いろいろあります。
そんなときは、寿命を待たずに、いますぐ死にたくなります。

このように、人は順境と逆境を往来しながら、
無意識にせよ、死を見つめて生きています。

ただし、順風のときにイメージする大往生も、逆境のときに訪れる自暴自棄も、
本当に死を見つめるには至っていません。

なぜなら、平均寿命を自分の寿命であるかのように誤認しているからです。
私たちは生身の人間ですから、死とはいつも背中合わせです。
明日、亡くなっても、何もおかしくありません。死は突如訪れます。

しかも、人生は一度限りです。
もし、仮に輪廻転生があったとしても、それは別の人生です。
同じ時代に、同じ両親の元で生まれ、同じパートナーと巡り合うことはありません。

そこに、人生は素晴らしさがあります。
死を想うとき、何気ない毎日が鮮やかに輝いて見え、
大切に抱きしめるように人生を生きるでしょう。

繰り返しますが、生と死は、いつも背中合わせ。
私たちは、いつ死んでもおかしくないのが現実です。


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成長についてあれこれと考えていました。

連想したのは、凧揚げでした。

大大空を舞う凧は、地上の人と糸でつながっています。

ここでは、「凧」は目標としている自分、「人」は現在の自分を表します。「糸」は自己限定です。

糸を長く伸ばせば、凧はより高く舞い上がります。
糸を短くすれば、凧は低空飛行します。

高いところを目指すためには自己限定を捨てていかなければなりません。
自己限定が低レベルで維持されている以上、それ以上の成長は見込めないのです。

いっそのこと、思い切って糸を手放せば風に乗って、自由に空高く舞えるのかも知れません。

しかし、自分では制御できない領域へと凧は飛び去ります。
それは、目標を見失ってしまうことを意味します。

成長の絶好の機会とは、糸を手放す一歩手前にあるのだろうと思います。

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